「見た目は洋犬ぽいけど、性格は日本犬ね」
養成講座で親しくなった仲間からよくそういわれました。
プーは父親がどんな犬か、母親がどんな犬かが全くわからない捨て犬でした。 同じ日に同じ場所に3匹捨てられていて、プー以外の2匹は、どこから見ても日本犬でした。プーだけが容姿が異なりました。
成長するにつれプーは、容姿的には洋犬らしさを強くしていったように思います。プーの耳は立っていましたが、その耳を左右にぴたっと寝かせると、すなわち垂れ耳の犬のようにすると、ゴールデン・リトリバーのように見えました。
その頃、プーには芸らしい芸を教えていなかったので、何か芸を見せて、といわれるとこの「ゴールデン・リトリバー」の一発芸をよく見せていました。
性格の方はというと、洋犬とはかけ離れていました。
洋犬にもいろいろなタイプがいるので一概にはいえませんが、そこをあえてざっくりと分けると、洋犬はフレンドリー、日本犬はシャイ、そんな傾向の違いがあるといえます。
不思議なもので、この違いは人間、そう西洋人と日本人の違い、それにかなり似ています。
挨拶の仕方を見れば、その違いは一目瞭然といえます。西洋人のそれは、 「やぁ、元気? ハッピー? 仲良くやろうぜぃ!」
全身でそう語りかけているように、迫ってきます。ニコニコして相手にグワーッと近づき、握手をして、さらには初対面でも抱き合ったりします。
一方日本人は、西洋人のそれに比べたらかなり控えめです。物静かに会釈をし、初対面なら相手の体に触れることもしません。そして、グワーッとやってくるタイプを苦手としたりもします。
この違いが、犬にもあてはまるのです。
プーはフレンドリーな犬が嫌いでした。しっぽを大きく振り、せわしなく、ぐわ〜っと近づいて来る相手に対しては、それ以上近づくなという態度をよく見せました。
反対に日本犬タイプの多くは、グワーッとプーに近づいてはきません。
お互いに目を合わせないようにしたり、顔を背けたり、ゆっくり動いたり、動くのを止めたりと、いわゆるカーミングシグナルを顕著に見せながら、近づこうとするのです。
カーミングシグナルとは、
「私はあなたに集中してないでしょ、だからあなたも私に集中しないで」
あるいは
「どうしたらいいんだろう、とにかく落ち着かなくちゃ」 といった、相手を落ち着かせようとしたり、自らを落ち着かせようとしたりするときに見せる、犬の仕草です。
こうした意味合いの仕草が犬にあることを提唱し始めたのは、ノルウェーのトゥーリッド・ルーガスです。目を見ない、顔を背ける、背中を向ける、体をかく、体を振る、あくびをする、ゆっくり動く、動きを止める、地面の匂い嗅ぎを始める……など、彼女は具体的な犬の仕草を、30以上ピックアップしていました。
もっとも洋犬でも、こうしたカーミングシグナルが得意な犬はいます。
かつてこんなことがありました。犬を自由にできるスペースにいたときです。そこは野球の試合ができるほどの広さがありました。そうしたドッグランのようなところでプーを自由にさせていると、プーは他犬と上手に距離をとりながら、トラブルなく過ごすことができました。
もしもトラブルが起きるとすれば、相手との距離が近くなりやすい入り口付近です。トラブルを避けるために、その日も私は入り口から80メートルほど離れた位置で、プーを自由にさせていました。
「あっ」
1匹のビーグルが飼い主と一緒に、そのスペースに入って来ました。飼い主がリードを首輪からはずす間、ビーグルはこちらをじ〜っと見ています。リードが首輪から離れると、そのビーグルは私たちの方に一直線にダッシュしてきました。 「まずい!」
せわしなく、ぐわ〜っと近づいて来るタイプです。私は何かしらのトラブルが起きることを、覚悟しました。
しかし、トラブルは起きなかったのです。
なんとそのビーグルは、プーの手前10メートルほどの距離でぴたりと止まり、地面の匂い嗅ぎを急に始めたのです。そして、匂い嗅ぎをしながらプーに少しずつ近づいて来たのです。プーはプーで同じように匂い嗅ぎを始め、相手に近づいて行きました。お互いのお尻の臭いを嗅ぐまでに、そう時間はかかりませんでした。ひとしきり、プーの匂いを嗅いだ後ビーグルは
「なんかつまんなそうなヤツ」
とでもいいたげに、プーに背を向けて遠ざかっていきました。
確かにこうした洋犬をときどき目にはしましたが、カーミングシグナルをうまく発しているタイプは圧倒的に、日本犬に多かったように思います。
実のところ、シェパードのMちゃんに襲われた直後は別ですが、それ以外でプーが日本犬タイプとトラブルを起こした記憶は、私にはないのです。
※著者コメント
この話は、本の中の「盲導犬協会での修行」という話の後に入っていました。プーはラブラドールリトリバーなどのフレンドリーな犬が苦手でした。盲導犬協会はラブラドールの宝庫です。盲導犬協会での日々を思い起こすことがきっかけで、書き記したのですがページ数の関係で、この項もなくなく省いた次第です。