「大丈夫?」
妻が心配そうに声をかけてきました。
ウッドデッキづくりをはじめて2週間が経過していました。全行程の半分ぐらいまで進んでいたでしょうか。その日私は、仕事から帰ると庭に降り、薄暗い中、腕を組んで考え込んでいました。
ウッドデッキの作り方にはいろいろありますが、私は費用もかからず設計変更や増改築がやりやすそうな方法を、本を参考に選んでいました。
その方法とは、まず束石を置き、その上に束柱を立て、横方向に床根太を渡して全体の土台の骨組み作り、その土台の骨組みに床板を張り渡していくというものです。木材には、2×4(ツー・バイ・フォー)規格のものを使用します。
工具は、電動ノコギリと電動ドライバーさえあれば、かろうじて作業は進められます。
私は手書きの、大ざっぱな設計図とも呼べないシロものをまず作りました。それを手に車で15分ほどの距離にあるホームセンターに行き、束石になる適当な石と、束柱となる4×4の柱、床根太となる2×4の板、そしてデッキ側面の床根太として使う2×6の板を、必要な数、これまた大ざっぱな計算に基づき購入しました。
材料で庭がいっぱいになってしまうと、作業がまったくできなくなってしまうので、床板部分の2×4の板は、後日求めることとしました。
材料運びには苦労しました。当時乗っていた車は、ルーフキャリアの付いたハイラックスサーフ。そのルーフキャリアに木材を乗せて、ホームセンターと我が家を何往復したことか。さらに大変だったのは、車から庭への木材の搬入でした。
道路、駐車スペースから庭へは、30〜40センチほどの幅しかない建物の脇の通路を通るか、家の中を抜けていくしかありません。建物の脇の通路の方は、途中直角に曲がらなければなりません。木材の長さは3メートルほどあります。運ぶ際は木材を垂直方向に立てる必要がありました。
当初はその狭い通路を通って運ぼうと考えていたのですが、1往復してその大変さに辟易し、結果的には家の中を抜けていくことにしました。
車を駐車スペースの前に止め、駐車スペースにまず木材を降ろす。そして駐車スペースから、玄関を通り廊下へ。そこからリビングを抜けて庭へ木材を運ぶ。3メートルほどある木材は、1度に1枚しか運べません。それはそれは、大変な肉体労働でした。
部材を庭に運び終えたら、いよいよ組み立て作業です。大雑把な設計図に基づき、これまた大雑把に束石になる石を置いていきます。本には、束石用の石が紹介されていたのですが、それを使うと我が家の場合は床面が高くなり過ぎてしまいます。そこで、私は束柱が乗ればいい程度の、頑丈そうな適当な石を用意していました。
束石からリビングの高さまでを測り、その長さに束柱を切り、リビング側から立てていきます。リビング側から一列分を立てたところで、その一列に床根太を渡していきます。それができたら今度はリビングから一番離れた側の束柱を立て、そこにリビング側から伸びる床根太を渡していきます。床を水平にするために、まずは仮の長めの床柱を置き、そこに水準器で水平を維持できるように微調整をしながら、リビング側からの床根太を渡し仮止めし、床柱の長さを決め切断し再度組み上げていきます。
こうした作業を休みの日と、仕事後も時間があればそのわずかな時間に積み重ねていきました。
床根太をどうにか組み上げ、これからの作業は床板を張っていく、というところで、作業はオアズケとなりました。床板部分の板をまだ購入していなかったからです。次の私の休みまで、作業は進めようにも進められなかったのです。
薄暗い中、腕を組んで考え込んでいたのは、このオアズケの間のある日の夜のことです。組み上がったウッドデッキの枠組みを眺めて、
「もっと広くできるんじゃないかな」
私はそう考えていたのです。
計画していたデッキの広さは10平方メートル程度、6畳程度です。それでもホームセンターの人からは、日曜大工で作る人はせいぜいマンションのベランダ1つか2つ分くらいの広さ。はじめて作るにしては、ちょっと無理のある広さではないか、と意見されていました。
「ここまでの作業は確かに大変だったけど、同じ大変さで倍の広さにできるのなら、プーだってその方が喜ぶはずだよな」
妻が心配して声をかけてきたのは、まさにそう考えている時でした。
「え、大丈夫って何が? いま倍の広さにしようかと考えてたところなんだけど」
そう私がこたえると、
「あら、そう。大変だから止める、なんていい出すんじゃないかって心配になってたのよ」
ウッドデッキが完成したのはそれから、1カ月先のことです。後年建築家に「たいしたもんですね」と感心されたそのウッドデッキは、プーの大のお気に入りの場所となりました。
※著者コメント
この話は、「そうだ、ウッドデッキ、作ろう」の話の後半です。ウッドデッキは本当にプーのお気に入りの場所でした。家を建て替え今やそれはありませんが、時々妻が「よくあんなもの作ったわよね」と思い出したうように口にします。私も若かったのですね、今ではとても作ろうとは思わない代物でした。